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5月半ばに東京へ帰ったら、私の中で化学反応が起きていました。チェコの音楽がものすごく好きになっていたのです。
もちろん今までも好きでした。そもそも13年前に初めて行ったときは、ヤナーチェクが好きでよく弾いていた私にムジカが声をかけてくださったのでした。そしてその時初めて出会ったパズデラさんとはスメタナ、ドヴォジャーク、ヤナーチェク、マルティヌー(これはチェコの代表的な作曲家4人です)を弾いてきました。チェコの素晴らしいヴァイオリニストと、たくさんのチェコの作品を共演し、またクラインとウルマンがテレジーンで書いた作品を弾いてきたのですから、自分でもチェコの音楽にたくさん触れていると思っていました。

5月9日、子どものためのコンサートも終え、何とも言えない満足感に浸りながらテレジーンを後にし、「チェコの真珠」とも言われるテルチへ向かいました。確かに美しい、しかも観光客がたくさんいるというわけでもない小さな町でした。
10日は月曜日で、博物館はお休み。特徴のある町の建物とそれは美しい風景を眺めるだけでも大満足でしたが、(とにかくテレジーンで市民の方たちと私たちで、あの2つのコンサートを共有できただけで、私はもう他に何も望むことはありませんでした)クリスティーナさんが一生懸命考えてくださり、少し離れた村まで足を延ばすことになっていました。バスで20分ほどだったでしょうか。その走った道の回りの景色の素晴らしかったこと! “これが五月のチェコだ”と思いました。しかもその地方独特の、日本で言えばお地蔵様をまつる小さなお社のようなものが道端に点在し、信仰心の深い地域であることが分りました。

「テレジンのピアノの会」の報告会でもお話したのですが、10年前に約千人の方々の寄付によってお贈りしたあのピアノが、実は数年間、それはひどい状態になっていたのです。
2000年にお贈りして私がオープニング・コンサートをさせていただいた時は、“飛び切り上等のヤマハのC7”でした。美しい音色で、タッチも良い仕上がりでした。それが4年後の2004年、ちょうどウルマンやクラインなど、最後まで収容所の音楽活動を支えていた人たちが全員アウシュビッツに送られた10月16日の、その日からちょうど60年という記念のコンサートをさせていただくために行ったその時は、以前の音からは想像もできない割れ鐘のような音になり、音程もめちゃくちゃになっていたのです。

先月末(8月31日)に「テレジンのピアノの会」主催の報告会があり、この5月のテレジーンのコンサートのことなど、演奏とお話で報告させていただきました。
あれからあっという間に4ヶ月が過ぎ、その間の忙しさはかなりのもので、このブログにも書きたいことはたくさんあったけれど、とりあえず《ESSEYS》にふたつの文(チェコの旅を終えて・長崎大会―テレジーンから長崎へ)を入れました。
それでもやはりまだ書き足りないことがありますので、いくつか余話を書いておこうと思います。