海外公演のとき、一番苦労するのは練習場の問題。コンサートそのものの会場がどのようなところであるかは、問題と言うより、もうそこでそのピアノで弾くしかない。とにかく自分の楽器を持っていくことができないのだから、良くても悪くてもその楽器に出会うことを楽しみ(?)にするしかない。それなりに覚悟は決まるものなのだけれども、練習をどうするかは、とても気になるところだ。もちろん最悪の場合はコンサート前の会場でのリハーサルだけ、ということも覚悟しなければならない。何とか練習場所を確保すると、その練習の光景がとても思い出深いものになることが多い。今回もそうだった。
私は最初ニューヨークなどというところでは、ピカピカの練習室がいくらでも借りられるのだろうと思っていた。でもプロデューサーの方のお話では、どうもそうではないらしかったのだが、幸運にも到着した日の夕方から、私のために2時間ずつスタジオを確保していただくことができ、それはありがたいことだった。
ホテルから歩いて5・6分のところ、古いビルの中の一つの階が大小のスタジオになっているところがあり、その一つを使わせていただけた。天井も高く、古くてもなんとなく雰囲気のある部屋で、ニューヨークでロングランされてきた「ミス・サイゴン」など、有名なミュージカルの素敵なポスターがいくつも壁にかけられ、それがけっこう楽しめた。それはいいのだけれど、肝心のピアノは中型のスタインウェイ、これがもう半端ではない古さで、もうどんなピアノを見たって驚かないと思っていた私も「これはかなりだ!」と思い、最初からまともな練習をする気にはなれなかった。鍵盤に指を当てるだけでもいいのだ。
一応鳴らない音などはなかったけれど、蓋など木の部分があれほどささくれ立ってしまっているのは見たことがない。弾いてみるとなんだかへんなので、いったいどうしたのかと思ってよく見ると、鍵盤の象牙の表面の下の木がすっかり減って小さくなってしまっていて、その隙間に指が落っこちてしまうような気がする。音そのものはそれなりに何か温かさがあって、決していやな音ではない。けれどもまともに「タイム・シークエンス」を弾こうとしたりしたら、こちらの腕が壊れるに違いないと思わざるを得ない。それでもゆっくり遅いテンポで部分的に弾いてみた。あの練習は間違いなく私にとっては有効だった。気分がとてもほぐれたし、楽しかった。
窓も開けっ放しなので、隣からはソプラノの発声練習がずっと聴こえていた。廊下を隔てた大きなスタジオでは、ドアも開けっ放しにして社交ダンスのレッスンをしていた。それが先生はもちろん、皆カッコ良くてしばらく見とれた。
2日目は何かのオーディションがあるとかで、10代の若者たちが廊下まで埋め尽くして床に座り込み、お互いしゃべりながら順番を待つ光景が、ニューヨークのティーンエイジャーのファッションも楽しめて面白かった。
前日とは別の部屋を借りたのだが、そこのピアノはほんとうに最高(!)だった。同じスタインウエイの同じぐらい古いもので、蓋を開けたら、あのSTEINWEYの金色の文字がまったく消えてしまっていて、なんと黄色いペンキで書いてある。しかもIが抜けてSTENWAYと、ミミズが散らばっているような字で書いてあるのだ。あまりのおかしさに、しばらく弾くのも忘れてしまった。
あれを写真に撮ってこなかったのは、今回の最大の失敗だった。ケータイをやっと持つようになった私は、ケータイで写真が取れることをまったく忘れていた。
とにかくあのスタジオでの2日間の練習(?)は、カーネギー・ザンケルホールでのコンサートとはまったく別の、得がたい思い出となっている。