先月(2008年3月)、一柳慧さんが芸術監督として率いていらっしゃるアンサンブル・オリジンのアメリカ・デビュー、ニューヨーク・カーネギーホール公演に参加させていただきました。
アンサンブル・オリジンは奈良正倉院の復元楽器、中国・アジアの古代楽器、ヴァイオリン、チェロ、フルートなどのヨーロッパの楽器、そして真如苑声明衆によるアンサンブルが、古代の響きを生かした新作を演奏してきたグループで、すでに日本各地やヨーロッパで公演を重ねてきています。
私はその活動を知ってはいましたが、実際に聴かせていただいたことはなく、今回の参加で初めて、他には無いその独特の素晴らしい音楽世界に触れることができました。
私自身はそのアンサンブルに実際に入ったのではなく、一柳さんのピアノ独奏曲「タイム・シークエンス」と「インター・コンツェルト」、そしてマリンバとピアノのための作品「パガニーニ・パーソナル」を弾かせていただきました。カーネギー・ザンケルホールの意向として、そのような現代作品が入ることが望まれたと伺っています。
一昨年の暮れにプロデューサーの方からこのお話をいただいてから、私はほんとうに不思議な気持ちでした。「インター・コンツェルト」は1987年のリサイタル「志村泉による三人展」のために委嘱して書いていただいた作品ですし、「タイム・シークエンス」は当時私の最も得意な作品の一つとして何回も演奏し、レコーディングも2回行なっています。「三人展」の成功もあり“現代音楽の演奏家”というレッテルを貼られていたその頃にはかなり弾いていた一柳作品から、実に20年近く、まったくと言ってよいほど遠ざかっていたその作品を、いきなりカーネギーホールで演奏するようにと言っていただいたわけです。
今回実際に準備を始めたのは昨年の暮れも押し迫ってからという感じでしたが、他の2曲はともかく、“コンピューターで再現すればいとも簡単にできるものを、人間の手で弾く”という「タイム・シークエンス」は、今の私に弾けるのか・・・、でも20年前の演奏も必ずしも完璧だったわけではない・・・など、頭の中にはいつもそのことがあり、ただ実際弾くのは熱が出そうに面白くて、どこかで“これが私だ”というような開放感もありました。
何よりプレッシャーだったのは、このお仕事をいただいた当初は、当然前座として弾かせていただくものと思っていたのが、アンサンブル・オリジンのために3人の作曲家の方が書かれる新作初演のあと、コンサートの最後に「タイム・シークエンズ」と「パガニーニ・パーソナル」があったことでした。スーパー!!マリンバ奏者の神谷百子さんと共演させていただく「パガニーニ・パーソナル」はともかく、素晴らしい3作品の初演のあとに、私の「タイム・シークエンス」の演奏が、このアンサンブル・オリジンのアメリカ・デビュー・コンサートをぶち壊す可能性もあるのだと思うと、半端ではない緊張がありました。
一方でカーネギー・ザンケルホール(歴史あるカーネギーホールの地下に今世紀になってから作られた、600席の素晴らしいホールで、当初から独自の内容ある運営を打ち出してきている)の聴衆に、「私」という演奏家がまったく何の先入観も無く聴いていただけるということは、ほんとうにワクワクするようなうれしいことでした。
ザンケルホールは木がたくさん使われた音響のとても良いホールで、ピアノも私好みのスタインウエイでした。
1日目のリハーサルの前半は、客席に聴かせていただきました。声明衆はもちろん和楽器、洋楽器の名手たち一人ひとりが魂を込めて演奏するその音のインパクトの強さに、圧倒されました。これはほんとうに日本が世界に誇れる「音楽の形」だと、自分の演奏の緊張も忘れ感動しました。
その演奏とは別に面白かったのは、カーネギーホールの流儀(?)として、と言うよりユニオンが強いということなのですが、カーネギーのスタッフの仕事を絶対に奪ってはいけないということで、どんなに楽器のセッティングが難しくても、日本のスタッフが直接手を下すことは許されず、あちらのスタッフに指示を出してやってもらうしかないということでした。日本から行った女性スタッフが英語であちらのスタッフに的確に指示を出し、あちらのおじさんたちが、見慣れぬ和楽器を不器用にセッティングしている姿はほほえましくも、「本番大丈夫かなあ」と不安にもなる光景ではありました。
そんなこともあってリハーサルは遅れに遅れ、しかも5時30分から6時30分の1時間は何があってもスタッフを休ませるという規則があり、舞台監督さんに「ピアノのリハーサルはできないかもしれません」と言われたときは、さすがの私も「そんなバカな・・・」と、血の気が引く思いでした。結局「6時30分から7時の開場までの間に」ということになり、1時から入っていた楽屋から何もせずに5時にホテルに戻り、一休みしてからリハーサルに向かい、本番は9時過ぎという実に長い一日となりました。
1月半経った今思い返してみると、特にあの3月14日の最初のステージは、私のこれまでの演奏活動の中で、あれほど自然体で演奏できたことがあっただろうかと思うようなものでした。“無機的”な音の動きが8分余り続く「タイム・シークエンス」を弾いていて、聴衆がその“音”をどう捉えているのか私には想像もできませんでしたが、どう受け取られてもまったくかまわない、ただ私がその演奏をするために積み重ねてきたものがそこに“音”として流れていることが、ものすごくうれしいという気持ちでした。
演奏し終わったときの聴衆の反応にはほんとうに驚きました。確かに「タイム・シークエンス」は謂わば“現代の超絶技巧”というようなもので、そのパーフォーマンス(?)に聴衆が“湧いた”ということがあるかもしれませんが、私はそういうことより、やはり私が信じているもの、何か“心から心に伝わるもの”がここでも“伝わった”と、その瞬間感じました。
最後の「パガニーニ・パーソナル」はもう最後のお祭り。神谷さんと“行くわよ!”という勢いで、多少の危ない橋もかまわず渡るという感じの演奏だったような気がします。
弾き終わって客席を見ると、前方の席で数人の女性が立ち上がって拍手を送ってくださっていました。舞台から客席を見て、何かすごい迫力を感じました。それがオノ・ヨーコさんの一団でした。私はその時はまだ“オノ・ヨーコ”さんとは気づきませんでしたが、出演した方の中には舞台に出て行ったとたんに、前から6列目にあの丸い眼鏡のオノ・ヨーコさんがいらっしゃるのが見えたという方もいらして、ビックリしました。
終演後のレセプションではたくさんの方が、私の前で両手を交差してピアノを弾くしぐさをして見せ、“あのピアノを弾いた人ですね”と話しかけてくれました。よほど手を交差させて弾くところが面白かった(?)のでしょう。皆さんそれぞれに、“感動した”ということをおっしゃってくださいました。語学がだめな私にもそのお気持ちが伝わってきて、ほんとうにうれしかったです。
関係者の方から“オノ・ヨーコさんですよ”と言われ目の前に現れた女性は ― いまだにどう表現したらよいのか分からないのですが ― まったく虚飾の無い、光り輝いた女性でした。「あなたはあんなにたくさんの人たちが演奏する作品のあとに、一人で出て行って演奏するのは、ほんとうに緊張したでしょう。」と言ってくださったやさしさにすっかり緊張も解けて、「最初にこのお仕事をいただいたときは当然、前座で弾かせていただくと思っていたのですが、プログラムが出てきたらこういうことになっていてビックリしたんです。」とお話したら、「正解です。私は同じプロデューサーとして、一柳さんのプロデュース力には感服いたしました。久々に良いものを聴かせていただきました。」とおっしゃったかと思うと、風のように目の前から消えていました。
私はオノ・ヨーコさんのことを特に知っているわけではないのですが、あれだけの活動をし続けていらした方に私の演奏を聴いていただけたことは、ほんとうにうれしいことでした。そして一瞬でもお会いできお話ができたことが、やはり特別なこととして私の中に残っています。あれからずいぶん、“あれは何だったのかなあ”と考えましたが、今のところ、“真っすぐに生きてきた人が持っているやさしさ”なのではないかと思っています。
演奏の仕事は一つ一つの積み重ね。ニューヨークであろうとカーネギー・ホールであろうと何も特別なことは無いのですが、今回のことは私にとってとても刺激的な、そして、ずっとやってきたことが間違ってはいなかったかなあと思える、大きな体験となりました。