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 6泊したホテルは「ル・パーカーメルディアン」。カーネギー・ホールに最も近いホテルとして有名だとか。確かにホテルを出て1分で楽屋口に着くので、それはほんとうにありがたかった。
そのホテルの朝食が、忘れられない。今までどこへ行っても朝食はバイキング形式だったので、当然そう思っていたらまったく違った。

 「パガニーニ・パーソナル」の共演者、マリンバの神谷百子さんはお仕事の都合でコンサート初日の前日のお昼にニューヨーク入りされたので、それまでの私は一人で行動することが多かった。(他の人たちは皆アンサンブルのリハーサルが続いた)
前日の午前中、ニューヨーク近代美術館(MOMA美術館)がホテルから近いと聞いたので行ってみることにした。そこだけは是非見たいと思っていたので、ほんとうにラッキーだった。思い立ったら飛び出して、MOMAに着いたのが950分。10時には開くのかと思ったら1030分開場。困ったなと思ったけど横を見たら、1階の大きな美術館のショップはもう開いていた。「これはちょうどいい、先にお土産を探せる」と思い中に入った。

海外公演のとき、一番苦労するのは練習場の問題。コンサートそのものの会場がどのようなところであるかは、問題と言うより、もうそこでそのピアノで弾くしかない。とにかく自分の楽器を持っていくことができないのだから、良くても悪くてもその楽器に出会うことを楽しみ(?)にするしかない。それなりに覚悟は決まるものなのだけれども、練習をどうするかは、とても気になるところだ。もちろん最悪の場合はコンサート前の会場でのリハーサルだけ、ということも覚悟しなければならない。何とか練習場所を確保すると、その練習の光景がとても思い出深いものになることが多い。今回もそうだった。
私は最初ニューヨークなどというところでは、ピカピカの練習室がいくらでも借りられるのだろうと思っていた。でもプロデューサーの方のお話では、どうもそうではないらしかったのだが、幸運にも到着した日の夕方から、私のために2時間ずつスタジオを確保していただくことができ、それはありがたいことだった。

先月(2008年3月)、一柳慧さんが芸術監督として率いていらっしゃるアンサンブル・オリジンのアメリカ・デビュー、ニューヨーク・カーネギーホール公演に参加させていただきました。
アンサンブル・オリジンは奈良正倉院の復元楽器、中国・アジアの古代楽器、ヴァイオリン、チェロ、フルートなどのヨーロッパの楽器、そして真如苑声明衆によるアンサンブルが、古代の響きを生かした新作を演奏してきたグループで、すでに日本各地やヨーロッパで公演を重ねてきています。
私はその活動を知ってはいましたが、実際に聴かせていただいたことはなく、今回の参加で初めて、他には無いその独特の素晴らしい音楽世界に触れることができました。
私自身はそのアンサンブルに実際に入ったのではなく、一柳さんのピアノ独奏曲「タイム・シークエンス」と「インター・コンツェルト」、そしてマリンバとピアノのための作品「パガニーニ・パーソナル」を弾かせていただきました。カーネギー・ザンケルホールの意向として、そのような現代作品が入ることが望まれたと伺っています。

2008年6月8日 山梨県の身延町総合文化会館ホールの「根津ぴあのコンサート」の予定をスケジュールに追加しました。

昭和の初期に山梨県出身の財界人「根津嘉一郎氏」によって、山梨県内の小学校に200台ものYAMAHAのアップライトピアノが贈られたそうです。現存するピアノはもう少ないのですが、今回立派に復元されたそのうちの1台を使って、コンサートを開きます。75年余り経つピアノからどのような音が奏でられるのか楽しみです。

一柳慧のプロデュース公演「Ensemble Origin Japan」および「The Music ofToshi Ichiyanagi 」が3月14日15日の両日にわたってニューヨーク、カーネギーザンケルホールで開かれました。志村泉はタイム・シークエンス(1976)、パガニーニ・パーソナル(1982)、インターコンチェルト(1987)を演奏しました。公演はスタンディングオベーションで大成功だった模様です。

また、コンサートの模様はお伝えすることができると思いますが、管理人からは、ちょっとビッグな話題を一つ。

「Ensemble Origin Japan」初日の会場にオノ・ヨーコさんが家族やご友人とと 来られたそうです。もちろんジョン・レノンの息子さんも一緒に。そしてコンサートが終わったとき、オノ・ヨーコさんとそのグループが真っ先に立って拍手を送ってくれたとのこと。最後の曲は志村泉の演奏曲目ですから舞台から良く見えたのでしょう。

そして、その後のレセプション会場にて関係者の方から
「オノ・ヨーコさんが絶賛してるよ」
と耳打ちされた直後、ご本人が来られて、
「あんなに大勢で演奏する作品のあとに、一人で出てきて演奏するのはほんとうに緊張したでしょ。」「でもあの順番は正解です。私は同じプロデューサーとして、一柳さんのプロデュース力には、感服しました。久々に良いものを聴かせていただきました。」
とじきじきに感想を述べてくださったそうです。オノ・ヨーコさんの知的で清楚な美しさには、圧倒されたということでした。

と落ち着いて書いておりますが、あまりに遠方でコンサートに行けなくて残念だった管理人としては、この時点でその場に居合わせなかったのは一生の不覚!と後悔している次第です。
もちろん演奏を聴きたかったのが一番ですが。

私の大叔母、桑原浜子さんが先月95歳で亡くなった。

卵殻モザイクの大家であり、平和運動の旗手でもあった浜子さんを心から慕う人は、私の周りにも多い。他にふさわしい言葉が見つからず「大家」、「旗手」としてしまったが、ほんとうはこんな言葉ではとても表すことのできない偉大な女性だ。あれほど自然体で生き抜くことがまず真似できることではないし、その自然体の浜子さんと、浜子さんが生み出すみずみずしい作品を、周囲の人々が大事に大事に愛おしんできたこと自体、浜子さんが自然に対しても人間に対しても、ほんとうに深く温かい目を向けていた証拠のような気がする。