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今年の初めだったと思いますが、甲府市のNさんから突然電話をいただきました。
「身延町の旧大須成小学校の物置から、根津ピアノと呼ばれる古いアップライトピアノが見つかったんです。それを修復して、今回その復元されたピアノでコンサートをしたいのですが、山梨ゆかりの志村さんにお願いできないかということになりまして。それで実際にそのピアノでコンサートが可能かどうか、一度身延町まで行ってピアノを見てほしいんです。」ということでした。
私は「ピアノを見せていただかなくても大丈夫です。やらせていただきます。」とお返事をしました。詳しいことはよく分からなかったけれど、何かそのお話からすごく温かいものを感じたし、そのアップライトピアノがたとえどうであろうと、コンサートそのものがとても意味のあるものになるという気がしました。
それに3月のカーネギーホールでのコンサートのために、超難曲の一柳作品に取り組む日々を送っていたそのときの私にとっては、6月に予定されるそのコンサートのことを考えるだけでも、何か緊張から解放されるような、ホッとできるありがたいもので、とても楽しみだぐらいに思っていました。
今になって振り返るとそれは、私にとってほんとうに大きな収穫のあるコンサートとなったのでした。

今年も残りわずかとなりました。
仕事も横浜の小学校でのコンサートを一つ残すだけとなり、年賀状も早々書き始めているし、少しずつ普段やらないところの整理や片付けなどもしているのに、なんだかとても落ち着かない。
若いときのように、時間がたっぷりあって、今できないこともそのうちできるようになるだろうと、漠然と期待しているというわけにも行かなくなり、その割には理想は高くなるばかり。そのギャップを埋められるかどうか、そんなことが最近自分の中にいつもあるような気がします。
“もすこし力を抜いて”と自分に言いきかせることもありますが、どうもこの落ち着きのなさはやっぱり何かあると思って気がついたのが、今年、ものすごくたくさんにことに驚き、感動し、たくさんのことを考えた、そのことをほとんどちゃんと残せていない、そういうことを書いていくためにこのブログ「スプリング」も作ったのに、とにかく書いてる暇がなかったこの一年。“そうだ、書いてないからだ”と思うにいたったわけです。
普段はいっこうに進まず、この暮れの忙しいときに「書いたわよ」と送ってこられる管理人さんにはほんとうに申しわけないと思いながらも、ここで最低限は書いておかなきゃ新年を迎えられないと思うので、書くことにしました。

 6泊したホテルは「ル・パーカーメルディアン」。カーネギー・ホールに最も近いホテルとして有名だとか。確かにホテルを出て1分で楽屋口に着くので、それはほんとうにありがたかった。
そのホテルの朝食が、忘れられない。今までどこへ行っても朝食はバイキング形式だったので、当然そう思っていたらまったく違った。

 「パガニーニ・パーソナル」の共演者、マリンバの神谷百子さんはお仕事の都合でコンサート初日の前日のお昼にニューヨーク入りされたので、それまでの私は一人で行動することが多かった。(他の人たちは皆アンサンブルのリハーサルが続いた)
前日の午前中、ニューヨーク近代美術館(MOMA美術館)がホテルから近いと聞いたので行ってみることにした。そこだけは是非見たいと思っていたので、ほんとうにラッキーだった。思い立ったら飛び出して、MOMAに着いたのが950分。10時には開くのかと思ったら1030分開場。困ったなと思ったけど横を見たら、1階の大きな美術館のショップはもう開いていた。「これはちょうどいい、先にお土産を探せる」と思い中に入った。

海外公演のとき、一番苦労するのは練習場の問題。コンサートそのものの会場がどのようなところであるかは、問題と言うより、もうそこでそのピアノで弾くしかない。とにかく自分の楽器を持っていくことができないのだから、良くても悪くてもその楽器に出会うことを楽しみ(?)にするしかない。それなりに覚悟は決まるものなのだけれども、練習をどうするかは、とても気になるところだ。もちろん最悪の場合はコンサート前の会場でのリハーサルだけ、ということも覚悟しなければならない。何とか練習場所を確保すると、その練習の光景がとても思い出深いものになることが多い。今回もそうだった。
私は最初ニューヨークなどというところでは、ピカピカの練習室がいくらでも借りられるのだろうと思っていた。でもプロデューサーの方のお話では、どうもそうではないらしかったのだが、幸運にも到着した日の夕方から、私のために2時間ずつスタジオを確保していただくことができ、それはありがたいことだった。

先月(2008年3月)、一柳慧さんが芸術監督として率いていらっしゃるアンサンブル・オリジンのアメリカ・デビュー、ニューヨーク・カーネギーホール公演に参加させていただきました。
アンサンブル・オリジンは奈良正倉院の復元楽器、中国・アジアの古代楽器、ヴァイオリン、チェロ、フルートなどのヨーロッパの楽器、そして真如苑声明衆によるアンサンブルが、古代の響きを生かした新作を演奏してきたグループで、すでに日本各地やヨーロッパで公演を重ねてきています。
私はその活動を知ってはいましたが、実際に聴かせていただいたことはなく、今回の参加で初めて、他には無いその独特の素晴らしい音楽世界に触れることができました。
私自身はそのアンサンブルに実際に入ったのではなく、一柳さんのピアノ独奏曲「タイム・シークエンス」と「インター・コンツェルト」、そしてマリンバとピアノのための作品「パガニーニ・パーソナル」を弾かせていただきました。カーネギー・ザンケルホールの意向として、そのような現代作品が入ることが望まれたと伺っています。

私の大叔母、桑原浜子さんが先月95歳で亡くなった。

卵殻モザイクの大家であり、平和運動の旗手でもあった浜子さんを心から慕う人は、私の周りにも多い。他にふさわしい言葉が見つからず「大家」、「旗手」としてしまったが、ほんとうはこんな言葉ではとても表すことのできない偉大な女性だ。あれほど自然体で生き抜くことがまず真似できることではないし、その自然体の浜子さんと、浜子さんが生み出すみずみずしい作品を、周囲の人々が大事に大事に愛おしんできたこと自体、浜子さんが自然に対しても人間に対しても、ほんとうに深く温かい目を向けていた証拠のような気がする。

半年前、1年前のことが遠い昔のように感じられる忙しさの中で、ほんとうに遠い昔のことを、ふと思い出す時がある。

20年ほど前、7歳の女の子がお母さんに連れられて、「2週間前にピアノを買いました。」と、私のところにピアノを習いに来た。教える経験はなくはなかったけれど、まったく初めてピアノを弾くという子を教えたことはなかったので、習う方も緊張していたかもしれないけれど、こちらもいったいどうしようかと、内心途方に暮れた。
その頃私は、自分の奏法の面で、変えていこうとしていたことがあり、それが身につけばそれまでよりずっと、自然な演奏ができるはずだという手ごたえを感じていた。私はその弾き方を、まだ小さい女の子に最初から教えていった。
器用に弾くわけではなかったけれど、私の教えることを真っすぐ受け止めてくれて、こちらも驚くほどどんどん進んでいった。それは、私がやろうとしていることが間違っていないという証拠でもあり、うれしかった。