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5月のチェコを旅して 余話 その3

5月9日、子どものためのコンサートも終え、何とも言えない満足感に浸りながらテレジーンを後にし、「チェコの真珠」とも言われるテルチへ向かいました。確かに美しい、しかも観光客がたくさんいるというわけでもない小さな町でした。
10日は月曜日で、博物館はお休み。特徴のある町の建物とそれは美しい風景を眺めるだけでも大満足でしたが、(とにかくテレジーンで市民の方たちと私たちで、あの2つのコンサートを共有できただけで、私はもう他に何も望むことはありませんでした)クリスティーナさんが一生懸命考えてくださり、少し離れた村まで足を延ばすことになっていました。バスで20分ほどだったでしょうか。その走った道の回りの景色の素晴らしかったこと! “これが五月のチェコだ”と思いました。しかもその地方独特の、日本で言えばお地蔵様をまつる小さなお社のようなものが道端に点在し、信仰心の深い地域であることが分りました。
バスの中でクリスティーナさんから、向かっているのはノヴァー・ジーシェという村であると聞かされました。ノヴァーは“新しい”でジーシェは“世界”、“新世界”という村だというのです。地名の由来は聞き逃しましたが、どこに行くかはどうでもよいぐらい、美しくのどかな景色に満足しきっていました。
バスが到着したのは、ほんとうに静かな小さな村でした。けれども目の前には灰色のそれは大きな修道院があるのです。“この修道院の見学をするのだ”と思っていると、中から白い衣の上にジャンバーを着た若い修道士の方が出ていらして、私たちを迎えてくださいました。その方の“かわいらしい”と言いたくなるような純朴な笑顔を見て、急にその修道院に心惹かれるものを感じました。
聖堂の中に入って息を呑みました。外側からは想像もできない世界でした。大きさもですが、絵や彫刻の素晴らしさ、荘厳さ。あれが例えばプラハの町の中だったら、そんなに驚かなかったかもしれませんが、バスの中から眺めた田園風景から、いきなりあの荘厳さの中に身を置いたのです。どれほどの人々がこの祭壇を心のよりどころとしてきたのか、どのようにしてこれだけのものが護りぬかれてきたのか、息をするたびに、刻まれた歴史が体の中に流れ込んでくるようでした。
さらにたくさんの部屋を案内され、その修道院が最初に作られたときは女子修道院であったこと、宗教戦争で修道女たちが皆殺害され、そのあと男子修道院になったこと、第2次世界大戦の時には修道僧が(確か7人が地下ラジオを聞いていたために)アウシュビッツに送られ5人(4人?)が命を落としたこと、社会主義時代には修道院そのものが捨て置かれたこと、ビロード革命のあと復興し、現在5人の修道士がここで修行していること・・・などの説明を受けました。
3千冊のラテン語の本が収められているという図書館もすごいものでした。大きな建物の中にはいくつもの部屋や廊下があり、どこもきれいに掃除されていて、“5人の修道士さんたちにとって、この掃除だけでもすごい修行だ”と思いました。
そして最後に入った少し大きい部屋。客席のように椅子が並べられ、ペトロフのグランドピアノが置いてありました。“ここでコンサートもするのかな”と思っていると、修道士の方と言葉を交わしていたクリスティーナさんが私に向かって、「このピアノは彼らのものだから、弾いていいそうですよ。」とおっしゃったのです。言葉は「弾いていいそうです」でしたが、「さあ、弾きなさい」という感じでした。私はナップサックを背負ったままピアノの前に座り、一瞬何を弾いたらよいかと考えたのですが、“そうだ、ここは教会だ”と思い、バッハのハ長調のプレリュードを弾き始めました。最初は鍵盤に触るだけの試し弾きのような感じでしたが、弾いていくうちに、1年以上前から計画され、私も何ヶ月もかけて準備をして、ピアノも蘇り、たくさんの素晴らしい時間を持つことができ、今またチェコの深い歴史を刻む空間に包まれている、そのすべてが奇跡のように思えてきて、ピアノを弾いているという感覚はなく、ただただ感謝でいっぱいになりました。
あとで何人かの方から、私のピアノを聴きながらその修道士の方の顔が輝いていったと聞かされ、ほんとうにうれしかったです。
ほんの2分足らずの演奏でしたが、あの場面は今回の旅の中でも心に残る瞬間でした。