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演奏会評

演奏会評

今私は表面的に見れば、長年続けてきた生活となんら変わらず過ごしているのですが、それでも昨年から怒涛のような日々だったと感じるし、今もそしてこれからも、しばらくそれは続くことになりそうです。

昨年の“怒涛”の中心は11月に3年ぶりで開くことができた自主リサイタル。ヘンデル・ハイドン・ブリテン・ドビュッシーと並べたプログラムは偶然できたようにも見えるけれど、今考えると、自分の演奏活動の過去とこれから先を結ぶ点に、このリサイタルを作る仕事を置いてみたいというような、少し大げさに言えばそんな気持ちがあったかもしれません。自分でも最初は気づかなかったのですが、昨年は私のデビュー30周年の年でした。

とにかくヘンデルにのめり込みました。特にオペラ作曲家としてのヘンデルの強烈な個性に魅了されてしまったのです。ピアニストにとって演奏可能なほぼ300年間に作曲されたレパートリーの一番古い時代の音楽=バロック時代の作曲家として、もちろん大バッハから学ぶものは汲み尽くせないでしょうし、私の大好きなスカルラッティの作品もほんとうに魅力的だし、でも私のピアニストとしての出発が「オペラ小劇場・こんにゃく座」のピアノ・オペラの仕事だったことを思えば、ヘンデルの音楽に向き合う機会を得たことは特別なことだったかもしれません。一緒に弾いたハイドンはもちろん、モーツァルトやベートーヴェンの世界にも、前とは違う入り方ができるようになった気がします。
後半のブリテンとドビュッシーは別の意味で挑戦でした。どちらもいわゆる「標題音楽」で、ピアノの音で映像や心理を描き出すわけですが、まずほとんどの方が聴いたことがないであろうブリテンの作品の世界を、私の演奏で伝えることができるか。そして反対にたくさんのピアニストによって演奏され続けているドビュッシーの世界を、私自身の視点で表現できるか。

・・・・・このように書いてみると、ずいぶん分不相応な大仕事に夢中になったものだ思います。私の力が足りていたとはとても思えません。けれどもあのリサイタルに向けて、ほんとうにたくさんの方にたくさんの場所で、この作曲家たちの音楽を聴いていただきながら、私自身もその作曲家たちと出会っていくことができたことは幸せでした。京都と広島では何年かぶりにソロ・リサイタルをさせていただけたし、保育園や学校の音楽室でのコンサートなどでも、どんどん聴いていただきました。初めて聴いたはずのハイドンのソナタのメヌエットを、保育士さんがあとで口ずさんでいたり、ブリテンの終曲「夜」のピアニッシモの音楽を、外から容赦なく聴こえる蛙の大合唱の中から一生懸命聴きとってくださったことなど、うれしい思い出です。またヘンデルがイギリスで触れたイギリス・バロック最大の作曲家、ヘンリー・パーセルの小品もいくつか演奏し、聴いた方たちも私も、その新鮮な魅力に感じ入ったものです。なんとパーセルは昨年が生誕350年という年でした。

あのあと3ヶ月足らずの間に、野平一郎さんとのピアノ・デュオ(と言ってもアメリカの作曲家・スティーヴ・ライヒの「クラッピング・ミュージック」という手拍子だけの曲があったり)のコンサートや、ヴァイオリンのパズデラさんとほとんどすべて初めての曲ばかりでデュオ・リサイタルをしたり、スメタナの「モルダウ」のピアノ・ソロヴァージョンを初めて弾くコンサートがあったり、まったく違う内容の、そしてまったく違う面白さの5つのコンサートがあり、ほんとうに息つく間もなかったのですが、あのリサイタルに取り組む前の自分とは何かが違っているように感じています。
ずっと私のピアノを聴き続けてくださっている方々の多くが、今回のリサイタルで私が“何かに向かおうとした”ことを感じてくださり、喜んでくださったことがほんとうにうれしいですし、初めて聴いてくださった方も多かったと思います。あまりピアノのコンサートなどにはいらっしゃらない友人を誘ってくださった方が、その友人の感想を送ってくださいました。「感想としては、曲のよさはわかりませんが、聞いていて、心が澄んでいくような気持ちがして、落ち着きました。」こんな感想をいただくと、ほんとうに“ピアノを弾いていて良かった”と心から思えます。私の演奏をこんな風に受け取ってもらえることはありがたいです。自分の音楽が、他者にとってもなんらかの良きものであってほしいからです。

また最近とてもうれしいことがありました。音楽評論家と言う立場で聴いてくださった方の批評文がある音楽雑誌に掲載されたのですが、私が普段、色々な意味であまり馴染めないでいるいわゆる“音楽界”の中で、私が目指したこと、表現したかったこと、提案したかったこと(実現できたかどうかは別として)が、こんなに深く、そしてこんなにもまっすぐに受け取っていただけることがあるのだ!と、とても励まされる思いでした。
音楽評論家・小倉多美子氏と音楽雑誌の編集部のご了解を得て、ご紹介させていただきます。

ムジカノーヴァ 2010年3月号(音楽の友社・月刊誌)
志村 泉 ピアノ・リサイタル2010
ヘンデル没後250年・ハイドン没後200年を記念して

アニヴァーサリーがために並列されているように見える2人の名。志村もプログラムにハイドンがいかにヘンデルに感動したかを紹介しているように、一度も相対したことのないこの巨匠たちの間には、太い絆が横たわっている。あれほど多くのシンフォニーを書き、ロンドンに携えていったハイドンはしかし、没後30年以上も経ってなお人口に膾炙(かいしゃ)しているヘンデルのオラトーリオをロンドンで観、ロンドンから戻ったウィーンにてその後一曲も、シンフォニーを作曲せず、代表的オラトーリオ作品として数えられる傑作をものすることになる。感銘を媒体にした歴史の稜線(りょうせん)と言えるものだろう。志村泉は「ヘンデルのオペラを楽しむことで…ハイドンを身近に感じられるようになった」と述べているが、《アグリッピーナ》にしろ《ジュリアス・シーザー》にしろ、聴衆を意識した華麗極まる難技巧を鏤(ちりば)めながらしかし、歴史上等の人物の心情を脈打たせる力強い音楽はそのまま、鍵盤音楽にも映し出されている。当夜取り上げられた《組曲第7番》HWV432のト短調でも、組曲の構成とバロックの様式のなかで、切々と訴え続け、また親密に、いわば口語体での明快な語り口と、絶え間なくかつ何度も刷り込むように繰り出されるリズムの妙を巧みに操る稀有の表現力によって、ドラマチックな高揚を掻き立てずにはおかない。作曲家の総合的な見識がもたらす深い共感が、ジャンルが異なってもまさにヘンデルの魅力そのものを、熱い奔流としてぶつけてくれた演奏だった。そしてハイドンで取り上げたのは、エステルハーツィ家楽長就任以前・以後のHob-6と52。生涯をカヴァーする弦楽四重奏を俯瞰すると、ロンドンのまさに大衆を対象として音響に変化が現れたように、ロンドンを経験した52には、オーケストレーション的な拡がりが随所に聴きとられ、木管・弦・金管各セクションが構築するスコアのようなテクスチュアを確実に生き生きと響き渡らせ、華麗と称される傑作の所以を納得させる演奏に。
後半は、イギリスの作曲家から、ブリテンの《休日の日記》。志村泉というピアニストには常々リアリティを感じてきた。それは、取り上げる作品に意義があるというだけでなく、その作品の世界がもつ空気感を立ち上らせるからだと感じている。ブリテンはそのオペラにも見られるように、心奥にまで光が届くような深淵な描写力を有する作曲家だと言えよう。休日を過ごした人々が眠りにつく夜も含め4曲から成るこの作品での志村の音には、描く作曲家の視線すら感じさせる。第2曲<舟遊び>など、描く筆を辿るような、ひんやりとした、いわば客観的なタッチが、立ち上ってきて、意志の強かったであろうこの作曲家の大衆への眼差しを感じずにはいられなかった。
プログラム最後はドビュッシーの《子どもの領分》と《喜びの島》。しかし志村泉というピアニストはどうしてこう、作品の本質を突き付けてくれることができるのだろう。合理性の視座からオミットされかかった、非合理的な世界の一環として子どもの世界を幻想的な装置としたロマン派なくして、一個の独立した世界としての「子ども」作品の隆盛はなかっただろう。ドビュッシーの《子どもの領分》も動機はエンマでも、描かれているのは、子どもならではに駆け拡がる夢想と幻想の世界。志村泉はたとえば、第2曲<象>の不可思議なメロディを、底にあたるような骨太な音質でクリアに動かしながら、子ども目線で完璧にドビュッシーが音に託した幻想物語の深みで演奏し切っていた。
(11月23日、王子ホール)小倉多美子