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武蔵野の秋「林光の世界」

林光さんが喜寿を迎えられる2008年には、林光作品のコンサートをしたいということは何年も前から考えていたのですが、なかなかイメージが定まらず、かなり長いこと雲をつかむような気持ちでいました。それがあるとき、フルートの荒川洋さんとこんにゃく座の岡原真由美さん、そして林光さんにいらしていただき4人で・・・という考えが浮かんだとたんに“これしかない!”と思ってすぐ林光さんにご相談したのですが、「そりゃいいけど、無理だろう。」ということでした。
実際、お忙しくても林光さんは早めにお願いすればなんとか参加していただけると思いましたが、新日フィルの副主席フルート奏者で、オーケストラのスケジュールをぬって全国を飛び回りコンサート活動をしていらっしゃる荒川さん、一年中舞台の続くこんにゃく座で代わりのいないオペラ役者の岡原さん、それに加えて一昨年立ち上げた武蔵野シリーズの中に入れたいと思っているわけですから、実行委員ともどもくじ運がとみに悪い我々主催者が、どの日に武蔵野スイングホールが取れるか見当もつかない。そのすべてを考えると、もう99%無理と思うのが普通だと思います。
ところがかなり長いこと“やりたいと思ったことはやる!”主義でやってきた私は、あきらめませんでした。

予定の10月は抽選でまったくひっかからず、とれたのは11月の3連休の最終日の夜の枠だけ。普通はあきらめるところをあきらめず。
ピアノの調律も出来ない、当日のリハーサル時間はせいぜい30分、開演時間を7時15分にしても私たちがホールに入って会場までは45分しかない。今までやったことのない様なことばかり・・・。その上たった180席のホールでこれだけのことを赤字を出さずにやれるかどうか。心配し始めたらやめた方がよいようなことばかり。
それでも迷わなかったのは、どうしてもやってみたいことがいくつかあったから。

まずソング。
私がソングを最初に聴いたのは、こんにゃく座が「雲の中のピッピ」を池袋の豊島区民センター(だったと思う)で初演したときの前半のステージ。すごくシンプルに、まったく普通の歌の会のようにピアノが一台あって小城登さんが伴奏をしていた。歌い手さんが一人ひとり出てきては題名を言ってソングを一曲歌う。覚えているのはバジ(佐山陽規)さんが「舟歌」、森裕子さんが「いってしまったあんた」(?)、竹田恵子さんが・・・忘れた、シケタ(松下武史)さんが・・・忘れた、藤本さん(当時の座長さん)が「壁の歌」。
あのときの「壁の歌」は、あの短いソング一つから芝居を一本見たような重みを感じた。すごかった。とにかく今から30年以上前のことで、藤本さん以外はみんな若手だった。あのときの、一曲のソングに一人ひとりの歌い手さんが自分のすべてをかけているその姿が強烈だった。
次に強烈だったのが生まれて初めて見たテント芝居、黒テントの「ブランキ殺し上海の春」。
私はこんにゃく座から、間もなく初演するオペラ「白墨の輪」のチラシを持たされ、芝居が開場する前、テントの回りに並ぶ観客にそのチラシを配って歩き、(チラシは渡されるもので、自分が配ったりするのは初めてだったから、受け取る側の態度がいちいち気になった)そしてテントの中に入ったら男の人が「畳の目が見えない程度に詰めてお座りください」と大声で叫んでいた。“畳じゃなくて、これゴザでしょ。”と思ったけれど、あっという間にほんとうにぎゅうぎゅう詰めになって、誇り臭い中でこれから一体何時間こんな状態でいなきゃならないのかと多少うんざりした気持ちと、それまでまったく身を置いたことのない謎めいた空間で、“一体これから何が始まるの”という期待とが入り混じったのを覚えている。
そしてあの「魚のいない水族館」。斉藤晴彦さん、桐谷夏子さん、服部良次さん(もしかして福原一臣さん?)が歌ったあの場面。後半の“さかなーのいないーすーいーぞっかん”と歌い出したところでテントの中の空気が、ゆらゆらゆらっと揺れた。テープで流れていた伴奏はピアノだけではなくクラリネットが入っていたと思う。あの瞬間に感じた“音楽”の力!
そして「三十五億年のサーカス」も「夢」も「あばよ上海」も、あの一癖も二癖もある名優さんたちの投げかける視線とともに、文句なしに魅力的だった。

そんな強烈な出会いをしてしまったソングだったから、今度自分がそのピアノを弾くようになると、別に誰にも文句は言われなかったけれど自分ではいつも、“なんか違う、なんか足りない、なんか・・・”という感じだった。思い入れが強過ぎたかもしれないし、一応音を鳴らすことにはさほど苦労はしないソングのピアノを、それ以上どうしたらいいのか分からないまま、本来の(?)ピアニストとして弾きたいものが増えていって、ソングからはある程度離れていたような気がする。そんなに弾きたいとも思わなかった。
でもどうしても引っ張られるものがあった。“ソングって、すごいものなんじゃない?”と。そしてなんとなく“今ならあのとてつもなく魅力的な言葉と、単純に見えて実はすごい構成力で成り立っている音楽が一体となって聴き手に提案してくるものを、以前よりは立体的につかむことができるかもしれない”と思った。要するに“すごく身近にすごい素敵な世界がある、というふうに聴いてもらえるかもしれない”と思った。
もちろん林光さんのソングはどう演奏されたって素敵だ。でもまあ“こだわり”というのでしょうか、そんな思いがあってまず12曲を選んだ。まともに考え始めたらきりがないので、あるときほとんど瞬間的に私が好きで思い浮かんでくるものを並べてみた。やはり「ブランキ殺し上海の春」から3曲入っている。
それからもう一つ今回是非と思ったのは、林光さんにたくさん歌っていただくこと。林さんの歌はもう“作曲家の道楽”なんていうものでは全然ない。ある意味、歌い手さんには絶対に作り出せない世界だと思っていた。それを出していきたかった。だから岡原さんには自分が歌うということだけではなくて、林光さんとの共演で力を発揮してもらうということも提案したわけだ。もちろん林光さんにも同じことをお願いしたことになる。
ということで最初のソング集はこのようなプログラムになりました。

魚のいない水族館 林・岡原(歌) 志村(ピアノ)
ぐるぐるまわりの歌 岡原(歌) 志村(ピアノ)
石ころの歌 林・岡原(歌) 志村(ピアノ
林・岡原(歌) 志村(ピアノ
告別 林・志村(歌) 志村(ピアノ)
旗は歌う 岡原(歌・アコーディオン)
銀河のそこで歌われた愛の歌 林・岡原(歌) 志村(ピアノ)
佐助のテーマ 林(歌)
林さんへのインタビュー
みらい 林(歌) 志村(ピアノ
ぼくが月を見ると 林・岡原(歌) 荒川(フルート) 志村(ピアノ)
花の歌 岡原(歌) 志村(ピアノ)
あばよ上海 林(歌) 岡原(アコーディオン) 荒川(フルート) 志村(ピアノ)

林さんと岡原さんのデュオはどうしたって岡原さんは生声、林さんはマイクを使うことになる。そんなことが自然な感じにできるだろうかと心配したが、びっくりするほどまったく自然。録音で聴いたらどちらかがマイクを使っているなどとは思えない。私はそのことでもお二人の力量にすっかり感心してしまった。あれはたまたまPAがうまくいったなどということではない。音楽の場をつくっていくための“勘”のようなものがすごいのだ。
とにかくお二人に素晴らしい歌を歌っていただいた。林さんがアカペラで歌ってくださった「佐助のテーマ」なんか大ベテランの役者さんのようだった。
岡原さんがアコーディオンを弾きながら歌ってくださった「旗は歌う」もすごかった。あの歌を聴きながら、3番とも前半の詩は「日の丸」問題への提起のように聞こえるけれど、後半の「海で死んだら水ぶくれ 山で死んだら草ぼうぼう」は、林光さんという方が何よりもまず他と共感するもの、他へのやさしさ、「平和運動」となる以前のほんとうに平和でなければいけないという思いを、理屈抜きで持っていらっしゃることが今回特にに感じられた。これは林光さんご自身の詩であるけれど、言葉だけではそこまで感じられない。やはり音楽の力だと思った。あの歌を歌う岡原さんの声も、今まで私が知っていた岡原さんではない、彼女の持っているまた別のものを感じさせてくれた。
特にデュオになると林光さんの声の響きが歌ごとに違ってくる。60年共働作業をし続けて来た人が身につけた感覚なのか。ご本人はまったく意識せず自然にそうなるのだろうけれども、岡原さんは今回やっぱりすごい経験をされたと思う。小柄でかわいらしい(なんていったら失礼かも)林さんの外見とはちょっと違う、男性的で色っぽい(別に外見が色っぽくないというわけではありませんが)、そして“お父さん”という感じの包容力が、録音で聴くと余計感じられる。

ソング集のあとはフルート・ソナタ「花の歌」。
私がこの曲を最初に弾いたのはもう4半世紀前。当時40歳代でいらしたフルートの第一人者・野口龍さんと。駆け出しの私はそんな方と共演できるだけでも舞い上がってしまい、たぶんもう必死でがんばって弾いて、フルートという楽器とのバランスも何もなかったかもしれない。カッコよくてすごく素敵な曲だけれど、とにかく弾くのが難しい。そのあとは中川昌三さんと何回か弾かせていただいた。少しはバランスなど考えるようになったけど、やっぱり弾くのに余裕がなかった。
荒川さんとこのソナタで共演するのは今回が初めて。7年前の林光さん古希のバースデイコンサートでいくつかの作品を共演したが、この7年の間に彼は名実ともに押しも押されもせぬフルーティストとなられた。このソナタも最初のソロアルバムで寺嶋陸也さんと組んで名演を聴かせている。私は15年ぶりぐらいでこのソナタを弾く。少しは余裕が出てきたような気がしているのと、年の功かもう多少何があろうと、ここで弾きたいように弾かなきゃ損損という気持ちだった。それにしてもやはりかなり手ごわい曲だ。
5日前のリハーサルで初めてあわせた。いきなり全楽章通してしまった。演奏し終わったとたんに荒川さんがおっしゃるには、「やあ、面白い! ぼくなんかいつもこうやりたいってことがあっても、実際にはやっぱりある程度安全な演奏をしなければならないことが多いんですよ。こういうのって面白いなあ!」
私にはその言葉の意味がよく分かって思わず言ってしまった。「私って危険な演奏しかしたことないのよ!」と、これは言い過ぎだったかもしれないけれど。
今回のフルートソナタは良かったと思う。弾いていてワクワクしたし、一本筋が通っていたと思う。

休憩後は荒川さんのフルートと林さんのピアノで「裸の島」。もうほんとうに素敵!
そして「ワルシャワ労働歌のうた」から「ねがい」「うた」そして「ワルシャヴィアンカ変奏曲」。
最後は新作「ひると夜のうた」で4人の共演。
この後半の流れも刺激的かつ感動的!(と企画構成をした私が言ったのでは自画自賛ですね)

コンサートの中でいくつかのインタビューの場面を作ったのですが、3人のゲストからあれほど素敵な話が聞けるとは予想していませんでした。
インタビューに限らずコンサートの中の話というのは、細かいことはその場で出てくることに任せたほうが面白いけど、全体にどういう線で持っていくかということにはけっこう気を使う。
ぎりぎりの線だったなあと思うところもあるけれど、すごく面白かった。例えばこんな感じ。

志村 :あのちょっと一度伺ってみたかったんですけど、歌を作る場合は先に歌詞があるので、歌詞を何回も読んでる間にメロディーが浮かんだりするかもしれませんけど、こういう歌詞のないものを作る最初・・・つまり私たちは「裸の島」っていうと「タンタターーン タンタターーン」って思いますけど、作曲されるより前にはその曲はなかったわけでえ、何にもないところからそれを作るときってどういう感じなんですか?
:・・・あのねえ、答えようのないことを訊かないでください。
志村 :・・・答えようがない。
:ウン・・・ないな。
志村 :ない?
:・・・ないな。
志村 :じゃあ、こう、湧き出てくるって感じ?それとも絞り出すって感じ?
:そう、あのどっちかって言えば絞り出すって感じ。
志村 :そうですかあー。
:・・・(聴衆に)分かります?(爆笑)
志村 :こんなことを訊いてしまっていいんでしょうか。
:こういうのね、そういうふうに色々言われるとね、その次なんか書くときにね、「ハテ、おれはどうやっているんだろう」って考えちゃうから、そういうことあんまり訊かないでください。

まったくぎりぎりの線でした。

ああ、でもほんとうに面白かった。
「林光の世界」なんて言ったってそれはとてつもないもので、でもこの一晩、私という人間に見えている林光さんの世界の魅力を、3人のゲストを巻き込んでそれぞれに面白がって参加してもらって、そうしたら私に見えていた何倍も楽しい一夜になって、小さな会場でいらしてくださった方々にも楽しんでいただけたと思っています。
考えてみると私は最近以前より、「楽しい」ということをすごく大事に思うようになりました。前は「笑えること」が「楽しいこと」みたいなことに対して、「そういう安易なのはいやよ」と思っていた(まあ今でもそうです)けど、ほんとうの「楽しさ」を作るのにはすごく力が要るし、でも今「ほんとうに楽しいこと」がこの世の中には必要なんだということをつくづく思うようになりました。
すごく消耗したけど、何にも代えがたい企画でした。